福澤諭吉は「身体は人間第一の宝」と体育教育に力を入れました。

慶応3(1867)年に慶応義塾の前身である英学塾は、江戸・築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)から芝新銭座(東京都港区浜松町)に移転しました。福沢諭吉は体育に力を入れており、移転すると庭に遊具を設置し「ジムナスチック」の時間を設けました。現在の港区三田に移転後の明治10(1877)年、幼稚舎生(慶応義塾の小学生)に柔道を教えたのが、日本最古の学生スポーツです。
福沢諭吉の死後1年9ヶ月の明治36(1903)年11月5日付けで、早稲田大学野球部から早慶戦の挑戦状を受け、慶応野球部はすぐに承諾し、同月21日、慶応義塾の三田網町グランド(港区三田)で試合、11対9で慶応義塾が勝利しました。
今も、福沢諭吉が残した「身体健康精神活溌」と「先成獣身而後養人心」の墨書は、幼稚舎の重要な教育方針の一つになっています。

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http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/090707/osk0907071203006-n2.htm